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大阪地方裁判所 昭和51年(ワ)6569号 判決

《住所省略》

原告 豊田三枝

訴訟代理人弁護士 田中久

《住所省略》

被告 近畿日本鉄道株式会社

代表者代表取締役 上山善紀

《住所省略》

被告 大阪府

代表者知事 岸昌

《住所省略》

被告 八尾市

代表者市長 山脇悦司

被告ら訴訟代理人弁護士 村田太郎

主文

被告らは、各自原告に対し、金五〇〇万円と、うち金四六〇万円に対する昭和五五年七月一日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

原告のその余の請求を棄却する。

訴訟費用は三分し、その二を原告の、その余を被告らの各負担とする。

この判決は、第一項に限り仮に執行することができ、被告らは、共同して金三五〇万円の担保を供して、右仮執行を免れることができる。

事実

第一当事者の求める裁判

一  原告

被告らは、各自原告に対し、金一、四五〇万円と、これに対する昭和四九年七月一日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

訴訟費用は被告らの負担とする。

との判決と、第一項について仮執行の宣言。

二  被告ら

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

との判決。

第二当事者の主張

一  原告の請求原因

(一)  原告は、被告近畿日本鉄道株式会社(以下被告近鉄又は近鉄という)大阪線八尾駅周辺連続立体交差化事業(以下本件事業という)完成前の近鉄八尾駅(以下旧八尾駅という)北口付近(別紙図面に旅館三笠と記載された場所)で、三笠の屋号を使用してビジネス旅館を営んでいた。

(二)  本件事業の概要

1 本件事業は、都市計画法に基づくもので、正式には「八尾都市計画都市高速鉄道事業」(以下鉄道事業という)及び「八尾都市計画道路事業」(以下道路事業という)と称し、旧八尾駅周辺の鉄道と道路の平面交差による交通渋滞の解消及び鉄道によって分断されている市街地の効率的な土地利用を目的として、被告大阪府が施行者として行った都市計画事業である。

2 被告大阪府は、鉄道事業に関する工事を被告近鉄に、道路事業に必要な用地買収及び市道に関する工事を被告八尾市に、それぞれ委託した。

3 そこで、被告らは、本件事業遂行のために、相互に覚書、協定書、確認書、委託契約書を交して、本件事業の施行区分、施行方法、施行費用を分担し、いわば共同事業者として相互に密接な結合関係をもって、本件事業を行った。

(三)  被告近鉄の加害行為

1 旧八尾駅は、旅館三笠の南側の幅員約六メートルの市道八〇号線(以下市道という)のさらに南側に沿って設置されていた。旧八尾駅の下りホームは、市道に沿って高さ約二メートル、幅約二・五メートルの盛土式の堤があり、その南側に幅約六、七メートルの盛土造石積の乗降場があり、その上に切妻屋根造木造平家建の乗降場上屋があるという構造であった。これらの構造物は、被告近鉄の鉄道営業に伴う騒音、振動の防禦壁ないし緩衝帯として重要な役割をはたしていた。

しかし、被告近鉄は、昭和四九年七月から、鉄道の高架化工事のために、旧八尾駅の右工作物を撤去し、市道の南側三、四メートルの部分に、仮下りホームと仮下り軌道を設置した。そのため、市道の幅員が狭くなった。

この仮ホームは、高架工事が完成するまでの臨時の仮設物で、鉄製パイプで組み立てられ、上屋の側壁は鉄板張りにすぎず、防音、防振動効果の著しく低いものである。

八尾駅の仮ホーム、仮軌道が、以前より旅館三笠に接近したこと、仮ホームの構造が防音、防振動効果の低いものになったことにより、被告近鉄の下り線だけで一日三〇〇本を越える電車の走行があるので、仮ホームにおける乗降客の雑踏、場内整理の放送による騒音、振動が、原告の受忍限度を越えるに至った。

2 被告近鉄は、昭和四九年七月から、訴外株式会社奥村組などの業者に請け負わせて、旧八尾駅のホーム等の構造物の撤去工事、仮駅の設置工事、高架構造物の建設工事等の鉄道高架化工事を行ったが、工事に使用する工事用機器の操作運転に伴い必然的に発生する騒音、振動等を防止するための適切な遮蔽物を設置しなかった。

そのために、原告は、右工事中、受忍限度を越える騒音、振動等による後記の被害を被った。

(四)  被告八尾市の加害行為

1 旅館三笠の南側には、幅員約六メートルの市道があり、さらに市道の南側路肩に沿って幅〇・五メートルの排水路があった。

被告八尾市は、市道の南側三、四メートルの部分を、被告近鉄の仮ホーム、仮軌道の敷地として仮に使用させ、道路の幅員を狭くした。そのため、八尾駅の下り仮ホームが旅館三笠により接近し、下り線だけで一日三〇〇本を越える電車が旅館三笠の近くを走ることとなり、電車の走行、仮ホームにおける乗降客の雑踏、場内整理の放送による騒音、振動が、原告の受忍限度を越えるに至った。

2 被告八尾市は、昭和四九年六月、被告大阪府からの委託を受け、市道の道路管理者として、道路法七一条二項に基づき、道路占用者である訴外大阪瓦斯株式会社、同関西電力株式会社、同電信電話公社、八尾市水道局、八尾市下水道建設課に対し、それぞれ、市道のガス管、電柱、電話線、水道管、下水道管、下水管の移設、補強を命じ、それらの道路工事の許可を与えて工事を施行させた。これらの工事は、事前の通知なしに旅館三笠から一メートル内外の至近距離で、夜間に行われたものが大部分であった。

また、被告八尾市は、鉄道高架化工事完成後の昭和五四年以降も、高架化関連工事を行い、昭和五五年六月ころ、市道を含めた部分に、幅一二メートルの八尾都市計画道路近鉄八尾西側線の建設工事を完了した。

原告は、これらの道路工事によっても受忍限度を越える騒音、振動の被害を被った。

(五)  被告らの責任原因

1 被告近鉄

(1) 民法七一七条

被告近鉄は、旧八尾駅付近の工事区間の鉄道施設を所有している。そして、前記(三)1の仮ホーム、仮軌道は、防音、防振動上不完全な工作物であり、前記(三)2の鉄道工事、仮ホーム、仮軌道での鉄道営業により、原告に対して受忍限度を越える騒音振動を与えたことは、土地の工作物の設置、保存に物理的、機能的瑕疵があったといわなければならない。

したがって、被告近鉄は、民法七一七条によって、原告の損害を賠償する義務がある。

(2) 民法七一六条但書、七一五条

仮に、右工作物責任が認められないとしても、被告近鉄は、鉄道工事の注文主(元請負人……被告近鉄は、被告大阪府から鉄道工事を請け負い、さらに請負業者に下請させた)として、民法七一六条但書に基づき、あるいは請負業者の使用人として民法七一五条に基づき、原告の損害を賠償する義務がある。

(3) 民法七〇九条

仮に、右の主張が認められないとしても、被告近鉄は、民法七〇九条に基づく不法行為責任がある。

2 被告八尾市

(1) 国家賠償法二条一項

被告八尾市は、市道の道路管理者である。被告八尾市が、前記(四)1のように市道の一部を被告近鉄に占有させ、道路の幅員を狭めたこと、前記(四)2のように市道の道路占用者に道路工事をさせ、また、近鉄八尾西側線の建設工事をしたことによって、原告に受忍限度を越える騒音、振動の被害を与えたことは、市道の設置、管理に物理的、機能的瑕疵があったというべきである。

したがって、被告八尾市は、国家賠償法二条一項によって、原告の損害を賠償する義務がある。

(2) 民法七〇九条

仮に、右主張が認められないとしても、被告八尾市は、民法七〇九条に基づく不法行為責任がある。

3 被告大阪府

(1) 国家賠償法三条一項

本件事業の総事業費は、金七八億八、〇〇〇万円であり、そのうち金一三億二、〇〇〇万円が鉄道事業者である被告近鉄の負担、金六五億六、〇〇〇万円が本件事業の施行者である被告大阪府の負担である。大阪府の負担金のうち、金四三億七、三三〇万円は国の補助金でまかなわれ、その残額金二一億八、六七〇万円のうち三分の一を被告八尾市が地元負担金として負担し、その三分の二を被告大阪府が負担した。被告大阪府は、本件事業の一環をなす前記(四)2の道路工事の費用を負担しており、このことは、被告大阪府が市道の設置、管理の費用を負担しているというべきであるから、被告大阪府は、国家賠償法三条一項によって、原告の損害を賠償する義務がある。

(2) 民法七一六条但書、七一五条

仮に、右の主張が認められないとしても、被告大阪府が、本件事業に関して被告八尾市及び被告近鉄と締結した委託契約の実質は請負契約であり、被告大阪府は、被告八尾市及び被告近鉄に、本件道路工事及び鉄道工事を施行させれば、原告に騒音、振動等の被害が及ぶことを予測できたのに、これを防止するために必要な指図を怠ったから、民法七一六条但書あるいは同法七一五条に基づく損害賠償義務がある。

(3) 仮に、右主張が認められないとしても、被告大阪府は、民法七〇九条に基づく不法行為責任がある。

(六)  損害額 金二、九五〇万円

1 建物の損傷補修費 金三五〇万円

本件一連の工事及び電車走行による振動によって、原告が経営する旅館三笠の建物に次の損傷が生じ、その補修が必要である。

(1) 屋根、ベランダの補修費 金一〇四万円

これは、屋根瓦がずれ、ベランダのコンクリートに亀裂が生じたのを補修するのに要する費用である。

(2) 外壁の補修費 金九八万円

外壁に多数の亀裂、剥離が生じ、通行人に危険な状態なので、これを修理するのに要する費用である。

(3) 浴場の補修費 金九五万円

これは、宿泊客用浴場の天井、壁面、床、浴槽、据付釜に生じた亀裂、剥離を補修するのに要する費用である。

(4) 内壁の補修費及び外窓の防音工事費 金五三万円

屋根瓦のずれによる雨漏りのため、内壁に汚損、剥離が生じたが、その塗替えをする必要がある。また、被告らが発生させる騒音を防ぐため、南側に面した外窓の防音工事をしなければならない。それらの工事に要する費用である。

2 営業損害 金二、〇〇〇万円

原告は、本件一連の工事及び電車走行による騒音、振動のため、昭和四九年七月一日から昭和五五年六月三〇日までの間に多くの宿泊客を失った。そのために失った原告の得べかりし利益は、金二、〇〇〇万円を下らない。その詳細は次のとおりである。

昭和四九年下半期 金六三万〇、〇〇〇円

昭和五〇年 金二七四万七、三一四円

昭和五一年 金四三一万三、〇二〇円

昭和五二年 金四六三万五、〇六一円

昭和五三年 金五三九万五、八五七円

昭和五四年 金三四一万九、一三三円

昭和五五年上半期金一七〇万九、五六六円

3 慰藉料 金五〇〇万円

原告は、被告らの不法行為によって精神的苦痛を被った。これを慰藉するには、金五〇〇万円が相当である。特記すべき事情は次のとおりである。

(1) 原告ら家族は、本件事業のための工事から発生する継続的な騒音、振動によって睡眠を妨げられるなど、日常生活の上で多大の肉体的、精神的苦痛を受けた。特に、原告の夫は、工事の騒音、振動による不眠症が原因で、再三、高血圧で倒れ、そのため、原告は、旅館営業のかたわら夫の看病に当たるなど惨めな生活を強いられた。

(2) 原告は、本件工事開始後、被告らに対し、原告の被害の実情を訴えて、騒音、振動の防止対策や夜間工事の方法の改善、営業損害の補償等について、再三、陳情や交渉を繰り返したが、被告らの各担当者は、いずれも責任を回避して原告をたらい回しにしたばかりか、原告を怒鳴りつけるといった態度であった。

(3) 原告の旅館営業が大幅な赤字となったため、原告は、次女の結納金を営業資金に流用し、遠隔地の親戚に借財するなど惨めな思いをし、過労のため病臥することもあった。

4 弁護士費用 金一〇〇万円

原告は、本件訴訟を提起するため弁護士である原告訴訟代理人に訴訟を委任したが、その際、着手金として金三〇万円を支払い、報酬として金七〇万円を支払うことを約束した。これらは、本件と因果関係のある原告の損害である。

(六)  結論

原告は、被告らに対し、被告らの不法行為による原告の損害の合計金二、九五〇万円のうち金一、四五〇万円と、これに対する昭和四九年七月一日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否と被告らの主張

(認否)

(一) 請求原因(一)、(二)の各事実は認める。

(二) 同(三)について

1 同1の事実のうち、旅館三笠から南方に、市道、堤、旧八尾駅乗降場があり、乗降場には木造の上屋があったこと、被告近鉄が、右の堤、乗降場、同上屋を撤去し、その跡に市道の一部も利用して、仮ホームを設置したこと、以上の各事実は認める。電車走行等による騒音、振動が原告の受忍限度を越えたとの主張は争う。

2 同2の事実うち、被告近鉄が原告主張の工事をしたことは認める。その余の事実及び主張は争う。

(三) 同(四)について

1 同1の事実のうち、旅館三笠の南側に市道があり、その南側路肩沿いに排水路があったこと、被告八尾市が、市道の南側の一部を被告近鉄に仮ホームの敷地として使用させ、道路の幅員を狭めたこと、以上の各事実は認める。電車走行等による騒音、振動が原告の受忍限度を越えたとの主張は争う。

2 同2の事実のうち、道路占用者らが市道上で道路工事をしたことは認める(但し、下水道工事は、本件事業と関係がないものである)。道路工事による騒音、振動が原告の受忍限度を越えたとの主張は争う。

(四) 同(五)の責任原因の主張は争う。

(五) 同(六)の損害額は争う。

(主張)

(一) 営造物、工作物責任について

国家賠償法二条にいう公の営造物の設置管理の瑕疵とは、公の営造物が構造上通常有すべき安全性を欠いていること、すなわち物理的瑕疵をいうのであって、機能的な瑕疵は含まない。したがって、工事施工という一定の行為を前提とする本件のような事案には、同条の適用はない。

仮に、営造物の設置管理の瑕疵に機能的瑕疵が含まれるとしても、その営造物が本来の目的に利用される場合に限られるから、建設工事に道路が利用された本件に、同条の適用はない。

また、民法七一七条の工作物責任も同様に解されるから、本件の鉄道工事の場合に同条を適用する余地はない。

(二) 八尾市の責任について

原告は、被告八尾市が市道の一部を被告近鉄に使用させたことに道路管理の瑕疵があると主張するが、電車の運行を止めずに高架化工事をするためには、やむを得ない措置であった。

市道上の電柱等の移設工事は、道路占用者の責任において行われたものであり、道路管理上の責任とは性質を異にするから、被告八尾市が道路の設置管理上の責任を負う理由はない。

(三) 被告近鉄の責任について

1 工作物責任

被告近鉄の設置した仮ホームが、旧ホームに比較して簡素な構造であることは否定しないが、仮ホームは、高架構造物が完成するまでの一時的なものにすぎず、かつ、そのために周辺に対する騒音、振動が以前に比較して著しく増大することはないから、強いて堅固なホームを建設する必要はない。また、被告近鉄は、鉄道工事に用いる機器の騒音、振動防止には万全の措置をとった。

2 注文者責任、使用者責任について

被告近鉄は、鉄道工事の一部を請負業者に請け負わせたが、本件鉄道工事は、被告近鉄の管理のもとに施行したものであるから、注文者責任、使用者責任を論ずる必要はない。

(四) 被告大阪府の責任について

1 費用負担者責任

被告大阪府が被告八尾市との協定に基づいて負担したのは、用地取得費、補償費等の本件事業費であり、市道の設置管理費を負担していないから、被告大阪府が、本件で国家賠償法三条の責任を負う理由はない。

2 注文者責任、使用者責任

被告大阪府が被告八尾市、被告近鉄との間でそれぞれ締結した委託契約は、対等の立場に立って締結した私法上の契約であり、被告大阪府と被告八尾市及び被告近鉄との間に使用者・被使用者の関係はない。また、委託契約を実質的に請負契約と理解しても、被告大阪府が被告八尾市に道路工事を委託したのは、地元の市が行うほうが効率的であるからであり、被告近鉄に鉄道工事を委託したのは、鉄道工事には特殊な技術や設備、専門知識を要するからであり、被告大阪府が被告八尾市及び被告近鉄に各工事を委託したことについて、注文又は指図に過失がなかったから、被告大阪府が注文者としての責任を負う理由はない。

(五) 受忍限度について

本件のような大規模な建設工事では、騒音、振動防止のためいかなる措置を講じても、多少の騒音、振動を生ずることは避けられないから、仮に、原告に騒音、振動による被害があったとしても、そのことから直ちに加害行為が違法となるものではない。被告らが不法行為責任を負うとすれば、原告が、本件事業の高度の公共性をもってしても償えないほどの社会通念上受忍の限度を越えた損害を被った場合に限られる。

ところで、市道の道路占用者らが行った占有物件の移設補強工事は、通算一九回(内夜間工事は二回)であり、これらの工事は、通常道路上で行われるものと同種の工事であり、周辺住民に重大な影響を与えることはなかった。夜間工事は極力避けたが、駅周辺の交通量が多い場所での工事であるから、すべての工事を昼間行うことは不可能であった。

被告近鉄は、鉄道工事の請負業者に対し、工事による騒音、振動の減少、夜間作業による周辺住民への影響の軽減を指導し、周辺住民に本件事業の説明を行うなど住民の理解と協力を得るよう努力した。

鉄道工事に用いた作業機器から生ずる騒音は、七、八〇ホンであるが、被告近鉄は、騒音が少なくなるよう技術上可能な限りの工法(たとえば、杭打についてはベノト工法)を採用した。エアーコンプレッサーは、人家の少ない空地で運転したし、機械の横にシートを張るなどをして防音に努めた。ベノト機による基礎杭の打設、H鋼の打設の際、ある程度の振動は生じるが、建物に損害を与えるほどのものではない。また、仮軌道における電車走行の騒音、振動は、電車が旧軌道の時よりも減速しているから、かえって従来のそれよりも減少した。

電車の運行を停止できない鉄道工事の宿命として、夜間工事を避けることは不可能であるが、被告近鉄は、夜間工事を原則として避けるよう計画し、工法上、工程上十分留意した。特に原告については、担当者が原告宅に赴き、工事内容を説明したし、原告からの作業日変更の要請に従って作業日を変更したこともあった。

被告近鉄は、高度な公共性を有する本件鉄道工事において、以上のように騒音、振動による周辺への影響が少ないよう努力した。このような事情を考慮すると、原告への騒音、振動の影響は、その受忍限度の範囲内である。

(六) 損害額について

1 建物の損傷被害

原告が主張する建物の損傷は、老朽化によって自然に生じたものであり、本件工事によるものではない。被告近鉄は、基礎杭工事に先だつ昭和五〇年六月一〇日、原告の建物の調査をしたが、その時点ですでに屋根瓦の一部欠損やずれ、外壁及び内壁の亀裂、汚損、浴室のタイルの亀裂等の損傷がみられた。

原告は、建物の損傷が生じながら、これまでに補修工事をした形跡がないから、その損傷は、その営業上重大な障害ではないと考えられる。原告が行った昭和五四年一〇月ころの補修改装工事は、通常の化粧なおしであり、ベランダや外壁の補修は付随的なものにすぎない。

本件工事区域周辺の原告以外の住民から、数件の補修要求があったが、原告のように過大な被害を訴えたものはいない。原告の主張は誇大である。

本件建物は、訴外小倉九藏の所有であり、原告は賃借人であるから、原告には、建物の損傷による損害を請求する権利がない。

2 営業損害

(1) 原告は、昭和三九年分ないし昭和四三年分の所得税について課税所得がない旨の確定申告をし、昭和四四年分以降については確定申告をしていない。したがって、原告には納税をするに足る収入がなかったと推定されてもやむを得ないし、一方で所得税を免れながら、本件において、昭和四九年以降に高額の所得があったと主張して、営業損害の賠償を求めることは、公序良俗や信義則に反して許されない。

(2) 原告の営業利益に関する鑑定人の鑑定の結果は証拠価値がない。すなわち、原告が鑑定人に対して鑑定の資料を正確に呈示しなかった疑いがあるし、鑑定の結果として挙げられている営業経費には不自然な点が多い。

3 慰藉料

(1) 原告が慰藉料算定の事情として主張する夫の病気は、個人的体質によるもので、本件工事によって発病あるいは病状が悪化したものではない。

(2) 本件工事で夜間工事を行ったのは、一か月に二回程度にすぎず、沿線住民の誰もが原告と同様の影響を受けているのであって、本件事業の高度の公共性に鑑み、原告の損害は、社会の構成員として受忍すべき範囲のものである。

(3) 被告らは、原告の苦情や調停申立に対して誠意をもって応対したし、原告に対し歩道使用料の名目で金二五万円を支払った。なお、原告は、過大な賠償を被告らに要求したために、話し合いが成立しなかった。

第三証拠関係《省略》

理由

一  請求原因(一)(原告の旅館営業)及び同(二)(本件事業の概要)の各事実は、当事者間に争いがない。

二  本件事業にかかる鉄道工事及び関連する道路工事

《証拠省略》を総合すると次の事実が認められ、この認定の妨げになる証拠はない。

(一)  本件工事の概要

本件事業は、被告大阪府が施行者であるが、被告らは、共同事業者として密接な結合関係をもって、本件事業を実施した。本件事業によって生じる騒音などについては、被告八尾市が窓口になって処理することにした。

本件事業の中心となる工事は、近鉄大阪線を高架化するための高架構造物の建設にあるが、そのために行われた工事(関連した工事も含む)で、原告の本件請求に関係するものは次のとおりである。

1  市道上でのガス管等の移設補強工事

高架化工事のために障害となるガス管、水道管、電柱等を移設し補強する工事で、被告八尾市が、道路法七一条に基づき、それらの物件の管理者に命じ、道路工事の許可を与え、物件の管理者らが行ったものである。それらの工事は、昭和四九年六月から昭和五〇年三月の間に、随時行われた。

2  鉄道工事

被告近鉄が、被告大阪府の委託を受けて行った工事であり、その内容を工事の順序に従って列挙すると次のとおりである。

(1) 旧下りホーム(上屋を含む、以下同じ)の一部撤去、仮下りホーム、仮下り軌道(電線路を含む、以下同じ)の設置

昭和四九年七月から昭和五〇年四月まで

(2) 仮下り線への切り替え

昭和五〇年五月一一日(翌一二日から電車走行)

(3) 下り線側高架構造物の建設

昭和五〇年五月から同年一二月まで

(4) 仮上りホーム、仮上り軌道の設置

昭和五一年二月から同年五月まで

(5) 仮上り線への切り替え

昭和五一年五月二六日

(6) 旧上りホームの一部、旧上り軌道撤去

昭和五一年五月から同年八月まで

(7) 上り線側高架構造物の建設、本設上り軌道の設置

昭和五一年七月から昭和五二年一二月まで

(8) 本設上り線への切り替え

昭和五三年一月一二日

この時点で、上り線の駅業務は、旧八尾駅から東方へ約二五〇メートル離れた新八尾駅で行われるようになった。

(9) 仮上りホーム、仮上り軌道、旧上りホーム撤去

昭和五三年一月から同年二月まで

(10) 本設下り軌道の設置(高架スラブ、高欄、防水工事も含む)

昭和五三年二月から同年一二月まで

(11) 本設下り線への切り替え

昭和五三年一二月一六日

(12) 仮下りホーム、仮下り軌道等の撤去

昭和五三年一二月から昭和五四年二月まで

高架構造物の建設(右(3)及び(7))は、二二メートルあるいは三〇メートルの区間を一単位(一ラーメン)として行われたが、各ラーメンごとの建設手順は次のとおりである。

a 基礎杭工事

深さ二〇メートルの基礎杭を六ないし八メートル間隔に打設する。

b 地中梁工事

基礎杭相互を結ぶ梁を地中に作る。

c 柱工事

支柱を設置する。

d 軌道梁、スラブ工事

支柱間に梁を渡し、スラブ(床版)、高欄(高さ一・六メートル)、砂利止めを設置し、防水工事をする。

なお、被告近鉄は、右鉄道工事期間中に、道床つき固め、道床交換などの保守作業を行った。

3  近鉄八尾西側線の道路建設工事

被告八尾市は、右鉄道工事完了後、昭和五四年から昭和五五年にかけて、市道及び旧八尾駅を撤去した跡地に幅一二ないし一五メートルの舗装道路(近鉄八尾西側線)を都市計画に基づいて建設した。この道路工事に伴う、ガス、水道等の工事もあった。

(二)  本件工事に使用された機械

本件工事に使用された機械の主なものは次のとおりである。

1  ガス管等の移設補強工事

ユンボ、ブレーカー、ショベル、建注車、穴掘車

2  鉄道工事

クレーン、ブルドーザー、ブレーカー、エアコンプレッサー、ベノト機、コンクリートミキサー、コンクリートポンプ車、二本構、もんけん、バックホー、ダンプカー

3  近鉄八尾西側線の建設工事

ブルドーザー、タイヤローラー、グレーダーなど

これらの機械から発生する騒音(但し、一〇メートルの距離で)は、もんけん八四ないし八六ホン、ベノト機七九ないし八二ホン、ブレーカー八〇ないし九〇ホン、コンクリートミキサー(一メートルの距離で)九八ないし一〇五ホンであった。

(三)  夜間工事

1  ガス管等の移設工事

被告八尾市が、大阪瓦斯株式会社などの市道の道路占用者らに照会して把握した道路占有物件の移設補強工事は、昭和四九年六月から昭和五〇年三月までの間に、合計二一日にわたって行われた。このうち夜間工事を行ったのは一三日であるが、それ以外にも昭和四九年六月二五日から二七日にかけて夜間工事が行われた。

2  鉄道工事

被告近鉄が作業日報などで把握している鉄道に関する夜間作業は、通常の保守作業も含めて昭和四九年一〇月から昭和五四年一月の間に八六日であるが、これ以外にも右期間中に夜間工事があるし、早朝からの工事や昼間の工事が午後一一時ごろまで続いたこともあった。しかし、その回数を正確に特定することはできない。

3  近鉄八尾西側線の建設工事

この工事(ガス、水道工事も含む)には、夜間工事もあったが、その回数、程度を正確に特定することはできない。

三  旅館三笠前の市道及び八尾駅の形状の変化

(一)  次の各事実は、当事者間に争いがない。

1  本件工事前には、旅館三笠の南方に順次、市道、排水路、堤、旧八尾駅乗降場があり、乗降場には上屋があった。

2  被告八尾市は、市道の南側の一部を被告近鉄に使用させ、被告近鉄は、そこに仮ホームを設置した。

(二)  《証拠省略》によると次の事実が認められ、この認定を妨げる証拠はない。

1  旅館三笠前の市道は、工事前には幅員が約四メートルであったが、仮ホームが出来たために幅員が約二・六メートルになった。

2  市道の南にあった堤は、幅約二・五メートル、高さ約一・五メートルであった。

3  旧八尾駅の下りホームの上屋は、木造で、北側の旅館三笠に面した壁はモルタル塗りであった。

4  旧下り軌道の中心線は、旅館三笠から一五・六メートル離れていたが、仮下り軌道は、旅館三笠から八・七メートルの距離に設置された。

四  本件工事等が原告に与えた騒音、振動の影響

(一)  工事による騒音

1  《証拠省略》によると次の事実が認められ、この認定を妨げる証拠はない。

(1) 訴外株式会社OTO技術研究所の職員が、昭和五三年一二月一八日午後一時ころから、旅館三笠で鉄道工事のハツリ作業の騒音を測定したところ、その騒音レベルは、七〇ないし七四ホンであった。

(2) 昭和五四年一〇月、旅館三笠前で行われた道路工事の騒音を測定器で測ったところ、右の結果を越える騒音が測定された(同月三一日午前零時過ぎには、夜間工事のため、九〇ホンを越える騒音が出ている)。

(3) 工事が行われない昼間の旅館三笠における騒音レベルは、約五三ホン、夜間では約四〇ホンである。

(4) 鉄道工事のうち高架構造物の建設工事(前記二(一)2の(3)、(7)、(10)の工事)で大きな機械を用いて工事をした実日数は約一二〇日であった。

(5) 原告の旅館の宿泊客が、夜間の工事の騒音のため、長期滞在の予約を取り消して他の旅館へ移ったり、騒音を避けるために、工事現場に面した南側の部屋から北側の部屋に替ったりした。もっとも、原告の都合によって、鉄道工事の実施日時を変更したことはあった。

(6) 原告の近隣居住者である訴外柴尾マツエ、同水谷某も、本件工事による騒音、振動などに悩まされ、被告八尾市に苦情を述べたことがあった。

(7) 原告は、本件工事の当初から騒音、振動について被告八尾市などに苦情を訴え善処方を求めていたもので、特に夜間作業について、その方法、時間をメモして監視し続けてきた。

2  右の事実によると、旅館三笠は、鉄道工事(夜間も含めて)によって、七〇ホンを越える騒音にさらされ、道路工事(鉄道工事の前と後の両方)からも同程度の騒音を受けたとするほかはなく、この騒音によって、旅館三笠の宿泊客が減少したことが推認される。そして、原告は、旅館業を営んでいるため、他の業者よりその影響が深刻であり、強い関心をもって、被告らに苦情を述べて抗議し続け、監視を怠らなかったのである。

(二)  仮軌道上の電車走行に伴う騒音、振動

1  《証拠省略》によると、旅館三笠での仮下り線を走行する電車の騒音は、普通電車で七四、五ホン、特急電車で八〇、八一ホンであったこと、同様に振動は、普通電車で五四デシベル、特急電車で五八デシベルであったことが認められる。

2  《証拠省略》によると次の事実が認められ、この認定を妨げる証拠はない。

(1) 被告近鉄の職員が、八尾一号踏切(別紙図面に八尾一号踏切と表示した場所。軌道中心線より六・二五メートルの地点)で、旧下り線を走行する普通、特急電車の騒音、仮下り線を走行する特急電車の騒音をそれぞれ測定したところ、次の結果が得られた。

旧下り線 特急 一〇一ホン

普通  八八ホン

仮下り線 特急  八三ホン

また、これと同様に、付近のいくつかの測定地点でも、旧下り線よりも仮下り線のほうが電車騒音が少ないという結果が得られた。

(2) 仮軌道を走行する特急電車は、旧軌道を走行していたときよりも減速しており、右の測定結果は、このことによるものである。

3  《証拠省略》によると、前記1の騒音レベルは、旧八尾駅とホームの構造が類似した法善寺駅における騒音レベルよりも七ないし一〇ホン高いことが認められる。

しかし、《証拠省略》によると、旧八尾駅付近の軌道では二五メートルの普通のレールに木製の枕木が用いられているが、法善寺駅付近の軌道ではロングレールにコンクリート枕木が使用されているため、法善寺駅付近の電車騒音のほうが旧八尾駅のそれよりも少ないことが認められる。したがって、法善寺駅と旧八尾駅の騒音が同程度であるとするわけにはいかない。

4  したがって、《証拠省略》から、旅館三笠における電車騒音が、仮軌道の設置によって増大したということはできず、他にこのことが認められる証拠がない。

電車走行に伴う振動についても、仮軌道の設置によって増大したと推認し難いことは、騒音についてと同様である。

(三)  本件工事による振動が旅館三笠の建物に与えた影響

1  《証拠省略》を総合すると、次の事実が認められ、この認定を妨げる証拠はない。

(1) 原告が賃借している旅館三笠の建物はかなり古いものであるが、原告は、昭和三五年、現在の建物の約半分の部分を増改築し、昭和四七年から昭和四八年にかけて、建物西側の倉庫と二階便所を増築し、外壁の一部を塗り替えた。

(2) 旅館三笠の建物は、古い建物に増改築を加えたものであることや鉄道線路に近く日常的に振動を受ける場所にあったことから、傷みやすく、屋根瓦のつき上げや壁面の亀裂の補修を時々やっていた。

(3) しかし、本件工事が始まった昭和四九年六月以降は、特に損傷がはげしくなり、昭和五〇年五、六月ころには、瓦のずれがひどくて雨漏りがし、浴場のタイルに亀裂が生じ、昭和五一年一〇月ころには、外壁の亀裂がひどく補修を要するようになった。

(4) これらの原因は、建物自体の老朽化もあるが、本件工事による振動が大きく影響している。

2  ところで、被告は、鉄道工事が本格化する以前の昭和五〇年六月には、右のような建物の損傷がすでに発生していたから、原告主張の建物の損傷は、工事によるものではないと主張するが、昭和五〇年六月までには、前示のとおり、ガス、水道の工事、旧下りホームの撤去、仮下りホーム、仮下り軌道の設置工事が行われているから、工事による振動が旅館三笠の建物に影響がなかったとするわけにはいかない。

四  受忍限度について

(一)  被告は、本件のような公共性の高い建設工事にあっては、その工事から生じた騒音等の被害が社会通念上受忍の限度を越えた場合にはじめて違法と評価されるところ、原告の被害は、受忍限度の範囲内であると主張するので判断する。

(二)  本件のような建設工事を行う者は、周辺の住民に対して騒音、振動等による被害を与えないよう最大限の努力を払う義務を負うが、反面、周辺住民もある程度の騒音、振動等の影響を受忍すべきである。そして、この受忍すべき限度は、騒音、振動等の加害行為の程度、それによる被害の程度、騒音、振動を発生させる工事の目的(公共性の程度)、それを発生させる場所的環境、被害防止の為に尽くした加害者の努力等諸般の事情を考慮して、個々の事案ごとにきまると解するのが相当である。

(三)  そこで、この視点に立って本件を検討する。

1  《証拠省略》によると、行政上の目標値としての騒音の環境基準は、二車線を越える道路に面した商業地域で昼間六五ホン以下、夜間六〇ホン以下、商業地域では新幹線によるものの場合は七五ホン以下と定められていること、法令による建設作業騒音の規制基準では、機械の種類により異なるが、七五ホンを越える騒音が規制の対象となっていること、機械による作業は、午後七時から翌日午前七時までの間、原則として禁止または制限されているが、鉄道建設や道路工事については、例外的扱いがされている(特定作業に伴って発生する騒音の規制に関する基準〈昭和四三年厚生省建設省告示第一号〉二項参照)こと、以上の各事実が認められる。

2  本件鉄道工事で測定された騒音レベルは、七〇ないし七四ホンで、右の建設作業騒音の規制値以下である。しかし、行政上の規制の対象外であることから、直ちにその騒音が受忍限度内であるということはできないし、道路工事の場合には夜間に九〇ホンを越える騒音が出たことも見逃すことができない。

そして、この七〇ないし七四ホンの騒音は、人の話声が十分聞きとれず、いらいらする程度のものである。

3  原告側の事情としては、すでに認定したように、原告は、ビジネス旅館を経営しているから、宿泊客の滞在中の静謐が、特に営業上重要であること、本件工事による騒音が概ね七〇ホンを越えること、工事期間が昭和四九年六月から昭和五五年までの足かけ七年に及ぶこと、その間に夜間工事も一〇〇日(鉄道工事が八六日、道路工事が一四日以上)を越えていること、本件工事の振動が原告の建物の損傷に影響を与えていること、本件工事の騒音が旅館三笠の宿泊者を減少させ、原告の営業に損害を与えていること、原告の夫は本件工事中に血圧が高くなり三日間入院したことがあること(このことは《証拠省略》によって認める)などの事情がある。

被告ら側の事情としては、本件工事が、八尾市内の旧八尾駅付近の交通渋滞を解消し、市街地の発展に寄与するといった公共性、公益性の高いものであること、コンプレッサーを人家から離れたところで運転するなど騒音防止の努力をしていること(但し、被告らは、作業機械をシートで覆うなどして防音に努めたというが、その主目的は、土砂の飛散防止である)、仮軌道の電車走行には減速を図っていることなどの事情が認められるが、反面、被告らは、夜間工事の回数、程度について十分把握していなかったなど工事の管理に杜撰な点がみられる。

以上のような事情をかれこれ勘案すると、原告の建物被害、営業被害は看過することができず、本件工事、とりわけ夜間工事の騒音、振動は、旅館業を営む原告の受忍限度を越えたものがあったといわざるを得ない。

4  なお、原告は、被告近鉄の仮ホーム、仮軌道での鉄道営業による騒音、振動による被害を主張しているが、前示のとおり、仮ホーム、仮軌道が、従来よりも騒音、振動等を増大させたことの証明がなく、その程度も生活に著しい支障をきたすものとはいえないから、この仮ホーム、仮軌道による鉄道営業による騒音、振動が、原告の受忍限度を越えたということはできない。

五  責任原因

(一)  被告近鉄

被告近鉄は、自らが施行し管理をしていた鉄道工事によって、原告にその受忍限度を越える騒音、振動による損害を加えたことに帰着するから、民法七一五条によって、原告の損害を賠償する義務がある。

なお、当裁判所は、鉄道工事から派生した損害とは別に、仮ホーム、仮軌道自体が防音、防振動上不完全であることによって損害が生じたことを認めるものではないから、被告近鉄は、民法七一七条に基づく賠償責任を負うものではない。そして、被告近鉄は、民法七一五条による責任を負担するのであるから、同法七一六条但書、同法七〇九条による賠償責任の有無の判断をしない。

(二)  被告八尾市

原告が、鉄道工事着工前の市道上でのガス管、水道管等の移設補強工事、鉄道工事完成後の近鉄八尾西側線の道路建設工事及びこれに付随するガス、水道等の工事から発する受忍限度を越える騒音、振動によって損害を被ったことは、前に述べたとおりである。

ガス、水道等の工事は、被告八尾市が行うものではなく、各道路占用者が行うものであるが、本件におけるガス、水道等の工事は、本件事業及び近鉄八尾西側線の道路工事の必要からこれと連続的あるいは並行的に行われたものである。そうであるなら、環境行政の責を負う被告八尾市としては、これらのガス、水道等の工事の許可をするにあたって、近隣へ騒音等の被害が及ばないよう、十分注意をし、夜間にまで付近の住民の静謐を侵害する工事が行われないよう配慮すべきことは、いうまでもない。夜間工事が不可避の場合には、それを最小限にとどめさせるか、付近住民の諒解をとりつけることが必要である。そして、被告八尾市は、各道路占用者が、許可条件どおりガス、水道工事を進めていることを監視することが、本件では必要である。なぜなら、原告は、工事による騒音を被告八尾市に工事の当初から強く訴えていたのであるから、被告八尾市は、本件工事を施行するものの一員として、そして環境行政を司るものとして、原告の苦情に対し真摯に対処すべきであったのである。しかし、被告八尾市は、これを厄介視して適切な対処を怠ったことは、《証拠省略》によって明らかである。

このようにみてくると、被告八尾市はその職員が、被告大阪府から委託された本件事業中の道路工事を進めるについて、前述した監視を怠り、原告に受忍限度を越えた騒音、振動の被害を与えた点で、民法七一五条による責任がある。

また、近鉄八尾西側線の建設工事は、本件訴訟の係属中に着工されたものであるから、被告八尾市は、周辺へ騒音等の被害を与えないよう十分注意して工事の施行管理をすべきであるにもかかわらず、原告に損害を与えたわけで、これは、被告八尾市の職員の落度であるといわざるを得ない。

そうすると、被告八尾市は、民法七一五条によって、原告の損害を賠償する義務がある(原告は、民法七〇九条による責任があると主張しているが、この主張には、民法七一五条による責任の主張が含まれると解しても、弁論主義に違反しない)。

なお、本件は、道路工事から派生した損害の賠償が問題とされているのであって、この損害は、道路自体が通常備えるべき安全性を欠くこと、すなわち、道路の設置・管理の瑕疵に基づく損害とはいえないから、被告八尾市は、国家賠償法二条に基づく損害賠償責任を負うものではない。

(三)  被告大阪府

被告大阪府は、本件事業の施行者であり、本件事業のうち鉄道工事を被告近鉄に、用地の取得、市道の工事を被告八尾市に委託したこと、被告らは、本件事業に関し互いに協力すべく覚書、確認書、協定書を交したこと、以上のことは、前に述べたとおりである。また、証人中澤平次、同溝入隆の各証言によると、被告らは、木曜会と称する週一回の連絡協議会を開いて、本件事業の遂行に関する問題を協議したこと、この協議会では、原告も含めた周辺住民に対する補償問題も話し合われたこと、以上のことが認められ、この認定に反する証拠はない。

そうすると、被告大阪府は、本件事業に関して生ずる騒音等について、他の被告らを指導し得る立場にあったし、また環境行政を司る被告大阪府としては、原告からの苦情が出ている限り、他の被告らと緊密な連絡、協議のもとにこれに適切な対応をすべき立場にあったといえる。被告大阪府が、このような立場にありながら、本件事業にかかる工事を進めるについて、原告に対し受忍限度を越える騒音、振動による損害を発生させるにまかせ、自らは勿論のこと他の被告らに対し適切な対応をとるよう指導しなかったことは、被告大阪府の職員の落度であるといわざるを得ない。

したがって、被告大阪府は、その職員の不法行為につき、民法七一五条によって、原告の損害を賠償する義務がある。

なお、被告八尾市が国家賠償法二条に基づく責任を負わない以上、被告大阪府は、同法三条に基づく賠償責任を負うものではない。そして、被告大阪府は、民法七一五条によって責任を負うのであるから、同法七一六条但書、同法七〇九条による責任の有無について判断しない。

(四)  被告らの賠償義務の相互関係

被告近鉄は、被告八尾市の道路工事によって生じた損害に対し、被告八尾市は、被告近鉄の鉄道工事によって生じた損害について、形式的には不法行為をしたことにならない。しかし、原告の被った損害は、連続的あるいは平行的に行なわれた鉄道工事と道路工事とによって一体として生じたものであって、これを区別することができない。したがって、被告近鉄、被告八尾市は、原告の被った全損害について共同不法行為者として各自賠償義務がある。

被告大阪府は、本件事業の施行者として、本件事業のための工事によって原告に加えた損害について、これ亦被告近鉄、被告八尾市との共同不法行為者として賠償義務があるとしなければならない。

六  損害額

(一)  建物の損傷補修費 金五〇万円

1  被告は、原告が建物の賃借人であるから、建物の損傷による損害を被告らに請求できないと主張するが、建物の補修費の負担は、賃貸人、賃借人の間で自由に定めることができるし、前記三(三)1(1)に認定したように、原告は、これまでも、建物の改造費、補修費を負担していたのであるから、被告のこの点の主張は理由がない。

2  前記三(三)1に認定した事実や《証拠省略》によると次の事実が認められ、この認定の妨げになる証拠はない。

(1) 原告は、昭和五四年九月及び同年一一月に、建築業者訴外望月寅勝に依頼して、旅館三笠の改造補修工事を行った。この工事費用は、合計金一七一万円であった。

(2) この工事には、被告らの振動の加害行為による外壁、内壁の亀裂など、被告らの加害行為と因果関係のある部分も含まれているが、門扉の新調、窓の付け替え、便所の改造など、振動被害とは関係がないものが含まれている。

(3) 原告は、旅館営業上、四、五年に一回の割合で旅館の化粧なおしをする必要があり、これまでもやってきたが、昭和四八年以来化粧なおしの工事をやっていなかった。

(4) 旅館三笠の建物は、相当老朽化しており、そのことが、建物損傷に相当程度寄与している。

2  右の(2)ないし(4)の事情を考慮すると、右(1)の工事費金一七一万円のうちたかだか金五〇万円が、本件工事と因果関係のある原告の損害として認められる。

3  原告は、建物の損傷補修費として金三五〇万円を請求し、《証拠省略》の各見積書を提出している。しかし、原告は、これまでに前記1(1)の補修工事以外の工事をしたことはないし、証人望月寅勝の証言によると、右見積書の内容の工事が被告らの加害行為によって必要になったとまでは認められない。したがって、右見積書によって、原告の損害を算出することは、無理である。

(二)  営業損害 金三五〇万円

1  被告は、原告が昭和四四年分以降の所得税の確定申告を怠っているから、原告には納税するに足りる所得がなかったものと推定されてもやむを得ないし、一方で所得税を免れながら、他方で高額の所得があったことを主張するのは、公序良俗、信義則に反し許されないと主張する。

しかし、確定申告をしなかったことから納税するに足りる所得がなかったと推定することは、正当であっても、原告が、実質上の所得を証明することができれば、その推定は破れるし、所得税の逋脱に対しては、他に刑事上、民事上の制裁、是正措置があり、本来これらの手段によって処理されるべきである。したがって、原告が、実質上の所得を主張立証することを目して、公序良俗、信義則違反に当たるとまでいうことはできない。

2  鑑定人饗庭健介の鑑定の結果によると、原告の昭和四八年分から昭和五四年分までの旅館営業上の差引営業利益が次のとおりであることが認められる。

昭和四八年 金三五一万一、六八九円

昭和四九年上半期 金二三〇万五、九六〇円

同年下半期 金一八九万六、六二六円

昭和五〇年 金一九六万二、〇二〇円

昭和五一年 金八四万八、二九二円

昭和五二年 金九五万四、八九二円

昭和五三年 金四三万四、一三五円

昭和五四年 金二六一万三、七四九円

但し、昭和四九年分は、上半期、下半期に分け、昭和四九年分の差引営業利益金四二〇万二、五八六円を、上半期、下半期の各宿泊者数で按分して算出した。

3  被告は、原告が鑑定人に鑑定の資料を正確に呈示していない疑いがあるし、鑑定の結果にみられる営業経費は、原告のまとめた資料によるもので、その内容を検討すると不自然な点が多いから、鑑定の結果には証拠価値がないと主張する。

しかし、鑑定の結果中、総収入は、原告が呈示した原告の夫が作成した宿泊者名簿、受取り料金等を記載したメモであり、原告が鑑定人に呈示するに際して作為を施した形跡はない。営業経費は、食事材料が宿泊客の食事数に比例していないなど不自然な点があるが、ここでは営業利益の減少の程度を判断するのであるから、鑑定の結果をそのまま採用しても不合理ではない。

4  そこで、昭和四八年分の営業利益を基準として、昭和四九年下半期から昭和五四年までの営業利益の減少額を算出すると次のとおりであり、その合計は金一、〇七四万五、三五七円となる。なお、昭和四九年下半期は、昭和四八年の営業利益の二分の一を基準とした。

昭和四九年下半期 〇円

昭和五〇年 金一五四万九、六六九円

昭和五一年 金二六六万三、三九七円

昭和五二年 金二五五万六、七九七円

昭和五三年 金三〇七万七、五五四円

昭和五四年 金八九万七、九四〇円

合計 金一、〇七四万五、三五七円

5  しかし、右営業利益の減少額のすべてを原告の営業損害額とするわけにはいかない。なぜならば、この営業利益の減少、すなわち宿泊客の減少には、昭和五三年一月以降の駅業務の新駅への移転(新駅は旧駅に比べて旅館三笠からは遠くなった)、本件工事による周辺の景観の変貌、仮ホームによる旅館前道路の狭少化などの諸要因が影響していると考えられるところ、これらの要因までを被告らの責に帰することはできない。

6  そこで、これらの事情を斟酌し、原告が納税していなかったことに由来するその営業利益の不確実性を考慮し、原告の損害を内輪に見積ることにすると、被告らの不法行為と因果関係のある営業損害は、少なくとも金三五〇万円を下らないといわなければならない。

(三)  慰藉料 金六〇万円

以上の認定した本件工事による騒音、振動の程度、頻度、工事期間、原告が受けた経済的、肉体的苦痛の程度、その他本件に顕われた諸般の事情を勘案すると、原告の慰藉料は、金六〇万円が相当である。

(四)  弁護士費用 金四〇万円

原告が、原告訴訟代理人に本件の訴訟を委任したことは、当裁判所に顕著であるから、以上の原告の損害額金四六〇万円の約一割に当たる金四〇万円の範囲内で原告の弁護士費用の損害を認める。

七  むすび

被告らは、各自(不真正連帯)、原告に対し、以上の合計金五〇〇万円と、うち金四六〇万円(弁護士費用の損害をのぞく)に対する道路工事の終了した日の後である昭和五五年七月一日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払わなければならない筋合であるから、原告の本件請求をこの限度で正当として認容し、これを超える部分を失当として棄却し、民訴法八九条、九二条、一九六条に従い、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 古崎慶長 裁判官 孕石孟則 浅香紀久雄)

〈以下省略〉

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